池田邦彦「カレチ」 ~なき国鉄への郷愁

漫画は読まない私がはまってます

作者もタイトルも知りませんでした。そもそも私は子供の頃からなぜか漫画は読まなかったので当然といえば当然なんですが。「カレチ」、昭和の鉄道ファンなら惹き付けられる言葉ですね。

カレチ(1) (モーニングKC)

カレチ(1) (モーニングKC)

  • 作者: 池田 邦彦
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2009/12/22
  • メディア: コミック

そんな私がこの作品を知ったのはNHK「ラジオ深夜便」で紹介されているのを偶然聴いたからであります。「カレチ」というタイトルに激しく反応してしまいました。
翌日には早速近所のBOOK 1st.を訪れ慣れないコミックコーナーを物色、汗を掻きながら第1巻を手にしたのでありました。

この作品の舞台となっているのは昭和40年代後半の国鉄。主人公である荻野カレチは大阪車掌区所属とあって乗務する列車は「白鳥」、「雷鳥」、「あかつき」など。この頃カメラ片手に大阪駅頭で列車を追いかけ回していた私にとっては一コマ一コマに懐かしい国鉄の情景が甦ってきます。
当時小学生だった私は多くの鉄道少年がそうであったように国鉄マンに憧れていました。それも運転士ではなく車掌に。アイボリーの盛夏服に赤い腕章の姿にとりわけ憧れを抱いたものでした。その思いを初めて乗ったブルートレイン「北陸」のカレチさんに話したところ「こんな赤字会社に入っても仕方ないよ・・・・」と笑われたものでした。そんな思い出も去来します。
この「カレチ」という言葉もJRになってからは車掌長、乗客専務などといった職制が廃止されて聞かなくなりました。平成の鉄道少年たちにとっては「ナニそれ?」ってな感じかもしれません。

この作品は昭和の鉄道少年だった世代には憧れの国鉄へのノスタルジーを掻き立ててくれるでしょう。また、現役の鉄道少年たちには未知の国鉄の旅へと誘ってくれるものと思います。

国鉄末期の惨状を知る世代としてはもちろん「あの頃は良かった」なんて言うつもりはありません。ただ、昭和40年代後半というと衰退する国鉄が最後の微かな光を放っていた頃といっても良いでしょう。そんな時代設定もこの作品に魅力を添えているのかもしれません。

全3巻、ただいま第2巻を熟読中であります。


「旅と鉄道」復活

「旅と鉄道」2011年11月号












乗り鉄雑誌の元祖「タビテツ」こと「旅と鉄道」が復活しました。既に復活第1号は9月21日に発売されておりいささか旧聞に属する話題で恐縮ではありますが、嬉しいことなのでアップしておきたいと思います。

タビテツは鉄道ジャーナル社より1971年に創刊されました。「旅と鉄道」のタイトルどおり鉄道を中心に据えた旅の雑誌という位置付けでした。当時は乗り鉄なんて言葉もなく鉄道趣味というと写真と模型が主流派だった頃です。そんな中、鉄道に乗ることに主眼をおいたタビテツは非主流派の拠り所として手堅く読者を掴んでいたように思います。

私がタビテツに出会ったのは‘75年の秋号が最初だったと思います。その中のあるルポに私は嵌ってしまいました。そのルポというのは門司から福知山まで二人の記者が特急「まつかぜ」と当時の最長鈍行列車824列車に乗車し同時並行でレポートするというもの。「まつかぜ」担当が今ではグルメ本や推理小説も執筆する金久保茂樹氏。一方、824列車に乗り込んだのが芦原伸氏。この芦原氏こそ新生「旅と鉄道」の編集長なのであります。

そんなタビテツも残念ながら'09年に休刊となります。折からの出版不況にのまれてということのようですが、企画がマンネリ化していたことは確かでしょう。「18切符の攻略法」的な特集ばかりではねえ。また、素材となる鉄道の変貌も逆風になったのではないかと感じます。合理化の嵐に晒された鉄道現場にはタビテツが標榜してきた“汽車旅”の世界なんてなくなってしまってますから。

そのタビテツが2年半の休眠期間をおいて復活したわけですから興味も高まります。鉄道を取り巻く状況が変わらない中いかなる秘策で汽車旅の魅力を発信しようというのでしょうか。
新生タビテツは鉄道ジャーナル社の手からは離れて朝日新聞出版が発行・発売元となります。つまり従来よりも強力な営業力をバックボーンに販売に力を入れようというところでしょうか。世は正に鉄道ブームでパイは広がっているわけですから老舗である「旅と鉄道」のブランド力をもってすれば勝算ありというところかも知れませんね。

私も早速復活第一号を手にしました。内容は事実上の創刊号ともあってご挨拶的な構成が目立ちます。総花的でズシッと読み応えのある記事はありませんでしたが、この点は次号から改まっていくでしょう。
興味深かったのが「御三家に学ぶ」という特集記事。宮脇俊三、種村直樹、竹島紀元という鉄道趣味でのビッグネーム3氏それぞれの鉄道との向き合い方を紹介しています。いずれも個性的な方々ゆえ好き嫌いはあろうかと思いますが、同じ鉄道趣味を志向する者としては気になるところではあります。ただし、この手の先人に学べ的な記事を多用するのは危険かも知れません。鉄道ファンは各々自分こそは日本一の鉄道愛好家であると自負している人種なので「誰々に学べ」なんて言うと「大きなお世話」と反発を招きかねませんから。
宮脇俊三さんの長女である宮脇灯子さんが紀行文を寄せているのも面白いところ。中身はともかく宮脇俊三さんを最も近いところで見ていた人の文章だけに宮脇ファンは注目です。
あと、芦原編集長自ら筆を執った「ばたでんの故郷、出雲国へ」も興味をそそりましたが、洋酒メーカーとのタイアップ色が強いのには苦笑しました。824列車に乗っていた芦原氏は薄汚いジーパンによれたTシャツといういでたちだったと記憶していますが、紙面に登場する氏はなにやらコジャレたお姿。偉くなられただけのことはありますね。

新生「旅と鉄道」は隔月刊で奇数月の21日に発売されるとのこと。是非乗り鉄の感性を刺激する記事をどんどん発信してもらいたいところです。

鉄道ジャーナルはどこへ行く

ジャーナルに何が?

鉄道ジャーナル 2010年 05月号 [雑誌]

鉄道ジャーナル 2010年 05月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 成美堂出版
  • 発売日: 2010/03/20
  • メディア: 雑誌


◆驚きの新聞広告

3月23日付読売新聞大阪版の1面を見て驚いた。記事にではなく最下段の書籍広告にである。なんと「鉄道ジャーナル」の広告が掲載されているではないか! 長年ジャーナルを愛読しているが、今までこんな広告は見たことがない。家族までが「鉄道ジャーナルが広告出してるわ」と言ってるぐらいだから正に事件である。
さらに詳細に眺めると「発売元:成美堂出版」とある。ジャーナルは編集、発行、発売を一貫して鉄道ジャーナル社が行っているはずではなかったか。
「鉄道ジャーナル身売りか!?」と不安になりネット上でいろいろ調べるとWikipediaといくつかのブログが最近のジャーナルについて言及していた。それによると発売元の移行については1月21日発売の3月号より実施されているとのこと。このことに気付かなかったのは私だけだろうか。手元の2月号を見てもなんら告知は見当たらないのだが。


◆鉄道ジャーナルを取り巻く環境

今回の発売元移行を即ジャーナルの身売りかと短絡したのには理由がある。鉄道雑誌の現状に常々不安を感じていたからである。印刷媒体が斜陽の時代を迎え幾つもの雑誌が消えていく昨今、鉄道雑誌も例外ではないだろう。従来鉄道雑誌が取り扱ってきた鉄道に関する情報はネット上で簡単に入手できる時代となった。しかもほとんどタイムラグのない状態で得ることができるのだ。実際、先日アップした「鉄板がキハ189を紹介」は読売新聞の記事にリンクを張っただけの手抜き記事にもかかわらず当ブログとしては爆発的なアクセス数を記録してしまった。新車情報がいかに注目を浴びているかを実感できる事態である。ところがこの記事がジャーナルの紙面で見られるのは早くても1ヶ月遅れとなる。かなり厳しい状況と言わざるを得ない。
ただ、社会派鉄道情報誌を標榜するジャーナルは趣味誌としての色合いが濃い他誌とは一線を画する特色を持つ。つまり企画力次第でいくらでも生き残る途を模索できる可能性を持っているのである。

一方鉄道を取り巻く状況はというと空前のブームにあるといわれている。過去SLブームやブルトレブームがあったが、このところの盛り上がりはそれらの一過性のブームとはかなり性質の異なるものを感じるのである。先日の特急北陸廃止に群がった数千の人出、マスコミもこぞって取り上げていたが、このところダイヤが変わるたびに見られる光景ではないか。
こうして明らかに裾野を広げている鉄道趣味人口を取り込むには先述したように企画力とライターの文章力次第だと思われる。ただ残念ながら他誌を含めても文章のレベルが低下していると感じるのは私だけではあるまい。かつてのジャーナルには何度も読み返したくなる文章が並んでいたのだが。


◆私とジャーナル

どうでもいい話ではあるが、私と鉄道ジャーナルとのお付き合いについてこの機会に記しておこうと思うので御用とお急ぎでない方はお付き合いいただければ幸いである。
私が初めて購入したジャーナルはと本棚を見ると’73年10月号。私が小学生の頃。久しぶりにページをめくると正に隔世の感である。「ブルーリボン賞国鉄183系、ローレル賞小田急9000系」の記事が掲載され、初代JR東海社長の須田寛氏が国鉄本社旅客局営業課長として寄稿されている。種村直樹氏、檀上完爾氏ら創世記のジャーナルを支えたライターの名前も見える。ちなみに価格は380円、今のものと比べ印刷の質は恐ろしく劣悪である。
当時の鉄道誌といえば他に鉄道ファン、鉄道ピクトリアルなどが刊行されていたが、私がジャーナルに惹かれたのは名物記事ともいえる「列車追跡シリーズ」に魅力を感じたからだ。まだ見ぬ列車、まだ見ぬ駅に思いを馳せて何度も読み返したものである。情感豊かな文章のみならず掲載される写真もまた魅力的だった。車内の乗客の表情を生き生きと写し取った写真は列車追跡になくてはならないものだった。近年はプライバシー保護の美名の下この種の写真はまず見ることはない。

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▲私の初ジャーナル 何度も読み返した痕が


◆鉄道ジャーナルに望むこと

生き残り策の一環として選択した今回の発売元移行であろうが、紙面にもHPにも何の説明もないようだ。発売元が変わっても読者には関係ないという理論だろうか。だとしたら大きな勘違いである。発売元から「もっと売り易い内容に」といった編集方針への干渉は排除できまい。ジャーナルらしさの喪失が懸念されるのだ。一鉄道趣味誌に身を落として欲しくないのである。
沈黙している故、様々な憶測も流れているようだ。当然だろう。
是非長年の読者との絆を大事にして欲しい。

その上で改善して欲しい点が幾つかあるが敢えて一つに絞るとジャーナルらしさの象徴ともいうべき列車追跡シリーズの原点回帰である。そもそも列車追跡は単なる同乗ルポではなかったはずである。一本の列車を通じて鉄道の現場で働く人々を、また沿線の実情を浮き彫りにしてきたのが列車追跡だったはずである。乗客の写真が撮り難いお寒い世の中になり、鉄道の現場も様変わりしたこととは思う。そこはプロのスタッフの実力と鉄道事業者との長年にわたる信頼関係をもって克服してもらいたい。単なる同乗ルポはネット上に幾らでも存在するのだ。裏を返せば列車追跡の充実こそ素人芸と差別化を図ることができるポイントではないか。

出版不況は当分続くことだろう。逆風を浴び続けることと思うが是非とも社会派の鉄道情報誌「鉄道ジャーナル」の健闘を期待する。