初めての北海道上陸
ピンチです! ネタがありません。基本的に療養生活を送っている私が定期的に外出するのは月に一度の通院と、月末の金融機関周りぐらいなものなのです。従ってネタを拾う機会がありません。そんなことを元ホテル屋仲間のN君にぼやいていたところ、「古いきっぷの話でもしてみたら・・・」とのこと。なるほど! ほぼ半世紀に亘る鉄ちゃん人生、思い出話なら数多あります。というわけで、X年前の今日を思いつくままに振り返ってみようと思います。こうでもしないと再び長期休眠状態に陥りかねません。有体に言えば年寄りのよもやま話ですが、お時間は取らせませんのでお付き合い願えれば嬉しいです。
◆はるばる来たぜ函館 ♪
最初の「こんな日」は37年前の今日(2月10日)の話。
この日私は子供の頃からの念願であった北の大地北海道の地を初めて踏んだのであります。当時私は大学1回生。後期試験が終了するのを待って、所属していた鉄道研究会のメンバーとともに北海道に雪崩れ込んだのであります。後期試験の結果がどうなるか、この時点では知る由もありません。
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▲青函連絡船大雪丸船上の37年前の私
北海道へは上野から夜行急行八甲田で青森に向かい、青函連絡船に乗り継ぐという由緒正しいルートで辿りました。八甲田は12系客車による運転。窓の僅かな隙間から粉雪が舞い込み窓枠が冷凍庫のように凍りついたのには驚きました。
青森からはいよいよ青函連絡船。鉛色の空の下桟橋に接岸した大雪丸のクリーム色と緑のツートンカラーの船体を見たときは何とも言えない高揚感とソ連の潜水艦に攻撃されたら・・・という若干の不安感を抱いたものでした。
函館までの航海は強風下ながらも心配された時化はなく、平穏な3時間50分でした。船内の「サロン海峡」で食べた厚切りトーストが美味しかったことが印象に残っています。函館入港時にさぶちゃんの「函館の女」が脳内でエンドレス再生されたのはいうまでもありません。
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ピンチです! ネタがありません。基本的に療養生活を送っている私が定期的に外出するのは月に一度の通院と、月末の金融機関周りぐらいなものなのです。従ってネタを拾う機会がありません。そんなことを元ホテル屋仲間のN君にぼやいていたところ、「古いきっぷの話でもしてみたら・・・」とのこと。なるほど! ほぼ半世紀に亘る鉄ちゃん人生、思い出話なら数多あります。というわけで、X年前の今日を思いつくままに振り返ってみようと思います。こうでもしないと再び長期休眠状態に陥りかねません。有体に言えば年寄りのよもやま話ですが、お時間は取らせませんのでお付き合い願えれば嬉しいです。
◆はるばる来たぜ函館 ♪
最初の「こんな日」は37年前の今日(2月10日)の話。
この日私は子供の頃からの念願であった北の大地北海道の地を初めて踏んだのであります。当時私は大学1回生。後期試験が終了するのを待って、所属していた鉄道研究会のメンバーとともに北海道に雪崩れ込んだのであります。後期試験の結果がどうなるか、この時点では知る由もありません。
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▲青函連絡船大雪丸船上の37年前の私
北海道へは上野から夜行急行八甲田で青森に向かい、青函連絡船に乗り継ぐという由緒正しいルートで辿りました。八甲田は12系客車による運転。窓の僅かな隙間から粉雪が舞い込み窓枠が冷凍庫のように凍りついたのには驚きました。
青森からはいよいよ青函連絡船。鉛色の空の下桟橋に接岸した大雪丸のクリーム色と緑のツートンカラーの船体を見たときは何とも言えない高揚感とソ連の潜水艦に攻撃されたら・・・という若干の不安感を抱いたものでした。
函館までの航海は強風下ながらも心配された時化はなく、平穏な3時間50分でした。船内の「サロン海峡」で食べた厚切りトーストが美味しかったことが印象に残っています。函館入港時にさぶちゃんの「函館の女」が脳内でエンドレス再生されたのはいうまでもありません。
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▲北海道に第1歩を印す
そして11:20、函館に降り立ち念願の北海道の地を踏んだのであります。
函館では3時間余りの待ち時間を利用し函館市電に乗車しました。これが記念すべき北海道の乗り鉄第1号になりました。しかし、1日乗車券を使いながらも全線完乗は果たさず。以来函館市電については虫食い状態のままとなっております。
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▲伝説の列車急行ニセコで札幌を目指す
そして、国鉄の北海道ファーストランナーは急行ニセコ。かつてC62が重連で牽引したことでファンの人気を集めた列車ですが、このときは既に14系客車とDD51のコンビに変わっておりました。函館本線を山線回りで札幌まで辿る約5時間半の旅。初めのうちこそ民家の様子まで新鮮に映り車窓に釘付けだったのですが、段々白一色の風景に飽きてきて長~い5時間半になりました。前夜が車中泊だったこともあり睡魔に取り付かれ14系名物バッタンシートの餌食になったのでありました。
◆この日の行程
上野(前夜)19:10-(急行八甲田)-6:15青森7:30-(23便大雪丸)-11:20函館14:32-(急行ニセコ)-20:07札幌21:25-(急行利尻)-
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▲北海道ワイド周遊券 下車印の中には万字炭山、中湧別、中標津など今はなき駅名も
この旅で使ったのが北海道ワイド周遊券。大阪市内から函館までの往復(経路指定有り)と北海道内全線の特急自由席、国鉄バス乗り降り自由で正価25800円ですが、冬季割引1割と学生割引2割を適用して2万円弱ですから究極のトクトクきっぷだったと思います。北海道の他、東北、信州、山陰、四国、九州ワイド周遊券にもお世話になりました。もちろんJR化後にしばらくして廃止されました。色々と面倒臭いんでしょう。
初めて訪れた北海道は長年憧れ続けた私の期待に見事に応えてくれました。何を見ても新鮮、何を食べても美味しいと、今までに私が経験した旅の中でも最も印象に残った旅でした。そんな訳で今回「今日はこんな日」の第1号として紹介させていただきました。今後も折にふれて取り上げていきたいと思っております。都度むさ苦しい写真をお目に掛けることになろうかと思いますがご容赦願います。
そして11:20、函館に降り立ち念願の北海道の地を踏んだのであります。
函館では3時間余りの待ち時間を利用し函館市電に乗車しました。これが記念すべき北海道の乗り鉄第1号になりました。しかし、1日乗車券を使いながらも全線完乗は果たさず。以来函館市電については虫食い状態のままとなっております。
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▲伝説の列車急行ニセコで札幌を目指す
そして、国鉄の北海道ファーストランナーは急行ニセコ。かつてC62が重連で牽引したことでファンの人気を集めた列車ですが、このときは既に14系客車とDD51のコンビに変わっておりました。函館本線を山線回りで札幌まで辿る約5時間半の旅。初めのうちこそ民家の様子まで新鮮に映り車窓に釘付けだったのですが、段々白一色の風景に飽きてきて長~い5時間半になりました。前夜が車中泊だったこともあり睡魔に取り付かれ14系名物バッタンシートの餌食になったのでありました。
◆この日の行程
上野(前夜)19:10-(急行八甲田)-6:15青森7:30-(23便大雪丸)-11:20函館14:32-(急行ニセコ)-20:07札幌21:25-(急行利尻)-
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▲北海道ワイド周遊券 下車印の中には万字炭山、中湧別、中標津など今はなき駅名も
この旅で使ったのが北海道ワイド周遊券。大阪市内から函館までの往復(経路指定有り)と北海道内全線の特急自由席、国鉄バス乗り降り自由で正価25800円ですが、冬季割引1割と学生割引2割を適用して2万円弱ですから究極のトクトクきっぷだったと思います。北海道の他、東北、信州、山陰、四国、九州ワイド周遊券にもお世話になりました。もちろんJR化後にしばらくして廃止されました。色々と面倒臭いんでしょう。
初めて訪れた北海道は長年憧れ続けた私の期待に見事に応えてくれました。何を見ても新鮮、何を食べても美味しいと、今までに私が経験した旅の中でも最も印象に残った旅でした。そんな訳で今回「今日はこんな日」の第1号として紹介させていただきました。今後も折にふれて取り上げていきたいと思っております。都度むさ苦しい写真をお目に掛けることになろうかと思いますがご容赦願います。
この記事へのコメント
まるたろう
ただ自分、ほとんど使わずにその後発売が終わってしまったので、
今となっては、特に北海道方面で使っておけばよかったと
後悔しています。
サットン
周遊券も遥か昔のお話になってしまいました。
JR化後も会社によっては魅力的なフリー乗車券を発売しているようですが、地元西日本がこの手の商品に消極的なのがザンネンです。
やまびこ3
北海道均一周遊券、都合4回ぐらい使いました。「八甲田」は仙台での学生時代、上京時の帰路の最終列車として何回も使いました。(途中までで申し訳ない)
途中下車印で一杯の周遊券、何枚か残っています。友達が自分の苗字でこの楕円のゴム印を作って押していたっけな。
サットン
八甲田というと東北ワイドでの旅でも重宝しました。上りのダイヤが青森を0時過ぎに出て福島に6時頃に着くという設定が宿代わりにはぴったりでした。
下車印だらけの券面、宮脇俊三さんの最長片道きっぷには及ばないまでもなかなかの迫力だと悦に入っております。
のり
ネタに困窮した時はこれが一番ですね。
これからも何が出てくるか楽しみにしています。
そういう私も仕事の都合でお出かけできず最近は単一主題気味です(笑)。
サットン
こまめに拾えば能勢電にも小ネタがいろいろとあるにはあるんですが、なかなか行動が付いて行きません。
今日は月に一度の通院日なので何かネタを見付けられないかなあと思っています。
硬券屋
サットン
なにかとヤバイ内容ですので当ブログとしては
コメントを差し控えさせていただきますw
UZ
家族持ちとなった今では懐かしい思い出です。妻子に話したら変な顔をされましたが…
サットン
夜行で2泊、私もワイドの旅では夜行2泊にホテルまたはユースホステル1泊のサイクルで放浪していました。家族には「着替えやお風呂どうしてたん?」と言われます。
この北海道旅では有効期間20日を見事使い切っています。
いずれにしても若かったからできたことだと思います。
H.E
こんな長髪でしたっけ
サットン
この当時、札幌からは夜行急行「まりも」、「大雪」、「利尻」が道東、道北へ。函館へは山線回りで夜行鈍行が繋いでおり宿には困りませんでしたね。青森駅連絡船待合室も良い宿でした。
この時は耳まで隠れる長髪でしたが、さすがにむさ苦しくてこの旅の途中真駒内の散髪屋さんでばっさり切りました。あれだけあった髪はいったい何処にいったのでしょう?
suzuran6
とにかくどこに行くのでもホテル無で行けるので貧乏旅行にはいい時代でした。
サットン
既に国鉄としては終末期でしたが、乗り鉄にとっては良い時代でしたね。22時台の札幌駅には「まりも」、「大雪」の2本の夜行急行が並んでいました。スハフのディーゼルエンジンの轟音が耳にこびり付いています。
労軽好人
懐かしいですね。ヤングマン!
私もその時3度目の渡道。
ワイド周遊券のスタンプの数が活動を象徴してます。
サットン
37年前の私です。自分で見ても「誰や、これ?」って感じです。
笑ってしまいます。
冬の北海道というと労軽好人さんという感じでしたね。
下車印は宮脇俊三さんの最長片道切符に憧れて各駅で押してもらったものですが、今となっては良い思い出です。