30年目のさようなら
とある訳あって久し振りに八重洲富士屋ホテルのHPを開いてみました。冒頭には「30年の感謝をこめて」の文字。(開業は1983年) 「ほー、もう30年か・・・・」と思いながら読み進んで行くと、「八重洲富士屋ホテルは2014年3月31日をもちまして営業を終了いたします。・・・・」。えっ、閉館! どうして!?
八重洲富士屋ホテルは、その名のとおり東京駅八重洲南口の目と鼻の先に建つ客室数377の中堅ホテルです。あまり華やかなイメージはありませんが、東京駅至近ということで東京駅を利用する機会の多い方にはお馴染みのホテルかと思います。言うまでもなく、箱根・宮ノ下の富士屋ホテルと同じ富士屋ホテルチェーンのホテルです。
これだけ立地条件に恵まれたホテルがなぜ閉館? こんな疑問を抱くのは元ホテル屋の私だけではないでしょう。少なくとも宿泊に関してはアクビをしていても集客できそうに見えるんですが。
▲エントランスには "With All Our Thanks 30years" の文字
◆閉館の理由とは
ということで、何時ものようにネット上を検索すると、昨年10月8日付の日本経済新聞が、この件を報じております。要約すると・・・・
「同ホテルは客室稼働率も90%を超えるなど収益を上げているものの親会社である国際興業の経営再建のため売却し、同社の財務体質改善を図る。なお、敷地については既に住友不動産に売却済みである。」(>>>こちら)
親会社の都合でホテルが売り飛ばされるというのは珍しい話ではありませんが、これほど業績好調(に見える)なホテルが売りに出されるというのは稀な例だと思います。しかも、敷地の売却で得られる収益が目当てでホテルとしての価値は顧みられない、というのは何とも悔しい限りです。約200人の従業員は同ホテルチェーンの他施設に転籍とありますが、近くて箱根、大部分は山梨県下ですから事実上の退職勧奨ということになるのではないでしょうか。ちなみに現在、国際興業を牛耳っているのは先般西武鉄道と一戦交えた投資ファンドであるサーベラスだそうです。資産の売り食いで目先の利益を上げる・・・・さすがはハゲタカといわれるだけのことはありますな。
これも突き詰めるとホテル業の地位の低さを象徴する一例なんですが・・・・。
◆父娘でお世話になりました
今回、このホテルのHPを開いたのは娘が東京に遊びに行くに際して旅行代理店に薦められたのがきっかけです。大阪からの往復の新幹線とホテル1泊がセットになって3万円弱。それで立地の良いこのホテルだったら言うことはありません。だいいち私に似て方向音痴な娘でも道に迷う心配もありませんから。(・・・・実際はちょっと迷ったらしい。嗚呼!)。
実はこのホテル、私にとっても思い出深いホテルなんです。1992年、初めて洋行する際、成田発の前泊としてお世話になったのがこのホテルです。当時の私は埼玉県民だったんですが、当日のっぴきならない用事が大阪であり、前日にデビューを飾ったばかりの「のぞみ」で深夜に東京に戻り、翌早朝の成田エクスプレスで成田空港に向かうというスケジュールでした。当時、東京駅周辺にホテルは少なく、東京ステーションホテルなど電話で「宿泊の・・・・」と言うか言わないかのうちに「あいにく満室でございます!」と言われる有様でしたから、このホテルで予約が取れたときは安堵したものでした。
宿泊以外にも食事や会議でもお世話になりましたが、富士屋ホテルという老舗の持つ重い雰囲気とは違ったフレンドリーなムードが好ましかったように記憶しています。
東京駅至近では現在何軒ものホテルの新築工事が行なわれているようです。八重洲富士屋ホテルの閉館と入れ違うように八重洲口には「コートヤードバイマリオット東京ステーション」(・・・長い名前やな!)が4月にオープンするんだとか。でも、宿泊料金は軒並みかなり高めの設定になっており、富士屋のように手軽に泊れるホテルが消えるのは、当時の私のような「寝るだけの利用者」にとっては痛手でしょうね。
繰り返しになりますが、まだまだ血の通っているホテルをまるで株を売却するかの如く右から左へ売り飛ばす経営者の姿勢には疑問を感じます。
こうして開業以来30年、八重洲口に明かりを灯し続けた八重洲富士屋ホテルは間もなく姿を消すことになります。不条理ともいえる都合での閉館は残念ではありますが、思い出を振り返りつつ最期のときを見守りたいと思います。
追 記
本誌遊軍記者から閉館後の八重洲富士屋ホテルの画像が届きましたので掲載しておきます。
▲閉館後の八重洲富士屋ホテル(2014年5月頃)
玄関周りはフェンスで閉ざされています。灯りの消えたホテルの姿というのはなんとも寂しいものです。魂の抜けた抜け殻ですね。(2014.9.12)
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この記事へのコメント
suzuran6
八重洲口から夜行バスで京都・大阪に行く際に見てはいましたが、サーベラスの影響なのでしょうか?
そろそろ老舗になれる頃なのではないでしょうか?
高級ホテルはそんなに要らないですよね。
硬券屋
yogawa隼
結局、八重洲口から徒歩10分くらいの”センターホテル東京”(サムティ)にした記憶があります。
外国人投資家といえば聞こえが良いけれど、土地や金融商品を売買して自分の会社の利益を最優先する類の人たちだと思います。
まるたろう
いいのに売却をするというのも不思議であり、残念な話ですね。
サットン
本当に30年そこそこのホテルを閉館してしまうとはもったいない話しだと思います。まあ、今回はホテルがどうこうというより、ホテルが建っている土地の値打ちだけが評価されたようですね。「地上げ」なんていう言葉を思い出します。
東京駅周辺にもリーズナブルな料金で宿泊できるホテルが欲しいところですが、土地の価格を考えるとペイしないんでしょうかね。
サットン
サテライトオフィスが閉鎖とは痛手ですね。私はオークラ、ANAのロビー(もちろんフリースペース)に厄介になっていましたよ。
従業員の皆さんの身の振り方が心配ですね。今回の閉館については国際興業の労組も猛反発したようですが、力及ばなかったようです。
日本のホテルって親会社の都合で簡単に売り買いされる脆弱な経営基盤に立っているっていうことをホテル業に就職を考えている学生諸君には知っておいて欲しいですね。
サットン
東京駅周辺で手頃なホテルってないですよねえ。神田、日本橋辺りまで行けばビジネスホテルがあるんですが、大きな荷物があるときにはちょっと不便ですよね。
この手の投資家をハゲタカファンドとはよく言ったもんだと思います。実業家ではなく虚業家とも言うようですね。
サットン
このホテル、東京駅から徒歩圏では使い勝手の良いホテルだっただけにこんな理由で閉鎖されるのは残念です。連日満室のホテルを敷地を売るために閉鎖するなんてねえ・・・・。
ファジー
サットン
おー!ファジーさんもご愛用でしたか! 本当に立地が抜群で、料金もリーズナブル、使い勝手の良いホテルでしたよね。まさか閉館とは・・・・たまたまHPを開かなかったら知らないままでした。
もうちょっと高級路線にシフトしてればとも思いますが、地上げには勝てなかったでしょうね。
あおたけ
東京人の私は宿泊する機会がありませんでしたが、
夜、オレンジ色にライトアップされた姿が印象的でした。
それにしても、稼働率の良いホテル自体よりも、
その土地の方が財産的な価値があると見られるのは、
なんだか寂しい話ですね・・・。
サットン
思い出します。オレンジ色のライトアップ!夜も更けるとひと気のなくなる八重洲にあっては灯台のような存在だったと思います。
敷地の資産価値に眼がくらんで・・・企業である以上利潤の追求が重要なのはわかりますが、その前に社会的責任ってもんがあると思うんですがねえ・・・・。ハゲタカには通じないみたいです。
Lionbass
取材に行ったような…。
あと八重洲ブックセンターにいくときによく前を通りました。
サットン
このホテルを根城にしていた政治家というと生活の党のあの人でしょうか?
親会社は
なにかとややこしい人々が絡んでいたように記憶しています。
八重洲ブックセンターとこのホテルは八重洲のコンクリートジャングルにあってオアシスのような存在でしたよね。
やまびこ3
米国が軍事力でハゲタカを守っている構図が垣間見えます。
サットン
このホテルは東京駅前という各地から集まり易い場所に建つので会議利用には打ってつけだったんでしょうね。惜しいことです。
ハゲタカは日本に見切りをつけたって話しも聞くんですけどね…。
京葉帝都
最近では老朽化する前に解体されるビルが目立ってきました。
キリンホールディングは本社が中野に移転したので新川の旧本社ビル(設計*高松伸、竣工1995年)はあっという間に解体されました。
ホテルでは上野不忍池脇のソフィテル東京(設計*菊竹清訓)がありました。これも営業期間は1994〜2007年と短期でした。
サットン
高級ホテルばかりが目につく東京駅周辺にあって使い勝手の良いホテルでしたが、ハゲタカと地上げの犠牲になったという印象です。
ソフィテル上野の悲劇は前身であるホテルCOSIMAを産んだ法華倶楽部の甘い見通しにあるかと。樹を模した建物はベラボウな工費がかかった割には収益性が低く…1フロアに数室しか取れなかった…法華倶楽部全体の屋台骨を揺るがしたとも聞きます。バブル期のホテル業界ではよくある話しですが。
キリン本社ってワタシ的にはまだ神宮前のままですわ。
萌音
サットン
初めてコメントいただきながら返信が遅くなり申し訳ありません。
八重洲富士屋ホテル、残念ながら閉館してしまいましたね。今頃、玄関周辺は柵で囲われているんでしょうか。
写真ですか・・・子供の頃から画才はなくって。お恥ずかしいです。
すずめ
そこ5階にある石川島子会社にめておりました。上司の妹さんが
富士屋ホテル内のお茶室で茶道教室を
やっていたので、長いこと習っていました。お正月ロビーで初釜、
会社の宴会、ラウンジ、待ち合わせ、宿泊、とにかく思い出の八重洲
富士屋ホテルです。営業終了は知ってましたが、真相までは知りませんでした。そういえば銀座東急もセルリアンホテルに集約するために、閉館したんですよね。八重洲富士屋ホテル閉館は本当に残念です。
サットン
八重洲富士屋ホテルには様々な思い出がおありのようですね。ホテルが人びとの生活に密着するようになり、すずめさんのように淋しい思いをされている方も多いことでしょうね。しかも閉館の理由が敷地売却で得られる利益が目的なんて淋し過ぎます。
このホテルの近くでも多くのホテルが消えて行きました。東急の他、西洋、日航…。いずれも親会社の都合のようです。